結婚にたいしてあまりいいイメージがなかった。
同棲もそう。
ここ数日、彼と同棲のことでもやもやしていた。
わたしは母子家庭で育ち、いろんな事情もあり家事は自然とできるようになっていた。中学生の頃からお弁当作りは自分でするようになった。「お手伝い」ではなく「しなければならないこと」。
母は、家事へのプレッシャーがあった。今思えば、そのときの母の気持ちが分かる。今は母の状態についても冷静に見ることができる。
だけれども当時、周りの子が毎日お弁当を作ってもらっていることや、帰ってもお風呂掃除をやらなくていいこと、当たり前のように豪華な食事が待っていること‥それらがとても羨ましかった。
また、自分では他の子よりも断然に家事を手伝っていると思うのに、母は認めてくれないのが嫌だった。(詳しく書くのは抵抗があるのですが、母は家事を放棄していたわけではありません。離婚を機に、本当はそれよりも前から、精神をこわしていきました)
けれどやっぱりその当時はまだまだ子供だったわけで、今みたいに考えることはできていなかった。
彼氏の仕事が前よりも忙しく、そしてわたしは以前の仕事は辞めたこともあり、自然とわたしが家事をすることが多くなった。
ひとりだったら“これでいい”と思うような食事も、彼のことを考えると「これではダメだな」と思ってしまう。
負の連鎖というのを目の当たりにしてきたので、「自分はそうはならない」という思いが強かった。それと同時に、「自分もそうならないように」といつも心の根っこは気にしている。
結婚して、ふつうの家庭を築くこと
そんなことがわたしにとってはとてもプレッシャーでもあり、幸せでもあるのかもしれない。
先日、彼のご両親に会ってきた。
ほんとうに、すてきなご夫婦だった。そして、すてきな家族だった。
わたしは、自分の家族が好きだ。この家庭で良かった、この母親が誇りだって、ほんとうに思っている。
彼のご両親は、「こんな夫婦にこんな家族だったら、ほんとうに幸せだろうな。こんな家族、いいな。」って思える家庭だった。
ちょっと前まで、こんなすてきな家庭で育ったひとと付き合うのがこわかった。もし結婚したとして、わたしの影響で離婚して、彼の人生に傷をつけてしまうかもしれない、と思ったからだ。
わからないんだ。彼は、自然とそういう家庭で育ってきたけど、わたしは、自然と、こういう家庭で育ってきた。もちろん親と子は違う人間。でも、いろんな考えや“あたりまえ”は、自然と育っているうちに残っているものもあると思うから。
「料理をしなきゃ」「上手くやらなきゃ」「もっと頑張らなきゃ」「彼はこれじゃ嫌なはず」「もっと良い物作らなきゃ」そう思っているうちに、自滅していた。
昔、家事なんて手抜きで良いから、もっとお母さんには笑顔でいて欲しいって思ってた。
それと同時に、ひどい話であの頃のわたしは、他のお母さんはふつうにやっているのに、なんでなんだろうとも思っていた。
気付いたら、わたしがお母さんの立場になっていた。
「やらなきゃ」「やらなきゃ」って、自分が思ってる。彼は言っていない。自分で自分を認められない。とっても家事を頑張るよりも、笑顔でいたほうが落ち着く家になるはずなのに、自分にプレッシャーをかけている。
彼とたくさんたくさん話し合いをして気付いた。
ハッとした。「わたしはそうならない」と反面教師的に思っていたのに、気付かないところでその意識が埋まっていた。
気付けてよかったな。正直、もう面倒くさくって、「やっぱり誰かと付き合うなんてまだ無理なんだ」「ひとりのほうがいい」なんて思ってた。
とことん向き合ってくれたからこそ、自分の根っこが出てきた。
土を掘って掘って、根っこが出てきた。
ここまで掘り下げないと、出てこないんだね。
こうやって、自分に染みついた不安の要素と立ち会って、気付いて、ぶつかって、受けいれて、“わたし”の新たな人生ができてくるのかな。くるしくなったり、すっきりしたりしながら。
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