超話題の都内のスポット、インスタ映えするような軽く1000円は超えるスウィーツ、美味しいはずの外食続き。
「充実」しているはずなのになんで満たされないんだろう。
都会にはなんでもあるはずなのになんで満たされないんだろう。
わたしは北海道で生まれ、その後ずっと東京や神奈川あたりで過ごしてきた。
原宿、渋谷にも小さいときに行った。満員電車も乗った。並ぶような話題のスウィーツも食べた。
今、わたしは21歳。人混みが苦手だ。渋谷が苦手だ。
都内で話題になっているようなスウィーツは、からだにいいのかわからないけど高い。飾りのようにいろんなものが盛り付けられたパンケーキとか、めちゃめちゃ高い。
都会にいると、生活費がとてもかかる。まず、家賃が高いでしょ。まずその為に働くでしょ。わたしは十代のとき、そんな生活に疑問を抱いた。それはブラック企業で働いていたのがきっかけ。なんのために生きているのかわからなくなった。「消費するだけの生活」だった。
どこまでいっても、どこまでいっても、満足はできない。消費する対象が尽きないから。
ブラック企業をやめたわたしは、鎌倉のリバ邸というシェアハウスに入った。鎌倉駅からバスで揺られてたどり着いたが、家の周りには何もない。木の匂いがする部屋の前には川が流れていた。わたしはここから未知の生活をすることになった。
“何もなかった”はずなのに、からだもこころも崩して都内で生活していたわたしは、その部屋に入った途端になぜかすごく癒やされた。満たされた。
水の音が、心を落ち着かせてくれた。下の部屋から聞こえてくるウクレレの音も、心地よくてふっと気が抜けた。
そしてバイトでもお金を貯めることができた。「働き続けなきゃ生活できない」とあんなに苦しく生活していたのが嘘だったかのように、力を抜きながら生きることができた。
近所に住んでるおばあちゃんが、手作りのお弁当を持ってきてくれた。庭にできている野菜を食べた。そんなことが自分にとってはすごくすごく幸せだったのを覚えている。
都内に住んでいた頃、疲れ切ってどこにも出かけないでいると仕事で終わっちゃう気がして、変に充実させようとしていた。
‥結果、自分も消耗。
鎌倉のリバ邸での暮らしは、今思えばもとになっているのかな。
生きていくのがこわくなくなった。生きられるんだもん。頑張りすぎなくても。「それでいい」「そんな場からは逃げちゃえ」と言ってくれる大人に出会い、自分を認められることができた場所。
夜に海まで自転車で行ったり、シェアハウスの友だちと「食費節約してみよっか」って言って、パンの耳を食べたけどそれが無性においしかったり‥。
幸せがぐんぐん満たされていった。わー自由だー苦しくないーって思った。
東京ってね、なんでもあるように見えるでしょ。でもそれが心を満たしてくれるかはわからないんだよ。「あるもの」に目を向けるってこと、自然とできないようになるくらい、新しいものが出てくる。そしてそれを消費する。繰り返し。
なんのために生きてるんだろうって
なんのため、なんのためって
一番は自分のためなのに。気付いたら自分が一番くるしくなってる。
満員電車だって、あれ異常でしょ。
電車を利用して誰かがしんじゃうのも。そして余裕ない大人が駅員さんに怒鳴るの。そんなの見てられなかった。でも、東京にいた頃、このままだと自分もそうなるんじゃないかなと思った。いろんなことが耐えきれなかった。
「変だなあ」って思ってるはずなのに、麻痺してる人たちはいっぱいいるよ。変なら、変なままでいいのかなあ。情報に流されて、誰かが決めた価値の中でなんとなく働いて、なんとなく消費する。そんなかんじでいいのかなあ。
おかしいって思って動いたら、案外違う世界ってあるんだよね。
田舎暮らしがいい、東京がわるい、とかそんなことを言いたいのではないのだけど、「今ある環境の中で周りの人と話し手を取り合いながら生きていく」とか「その土地の栄養のあるものを食べる」とか「自然の音に耳を向ける」とか‥そういうことって大事だと思うんだよね、やっぱり。
田舎は電車の本数が全然なかったり、コンビニもなかったりする。でもなかったらないでどうするか、不便なことがあったとして、どうするか。そういう不便さって、いろんな力を生むんだよね。いろんなことを満たしていくんだよね。すでに不便がないと、どんどん先を求めて、幸せって感じにくくなったりする。
根本的に自分の心を満たすものって、なんなんだろうね。
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