突然強い物言いですが、「しあわせは自分の心が決めてやる」。
これくらいの心意気で自分のしあわせは自分で守らないと、あっとゆうまに見えなくなるものだなあと思います。
たとえば、こんなにSNSが普及している時代、となりの芝生がたくさん見える。「あの人はあんなに注目されてる」とか「あの人はいつも充実してるなあ」とか、すぐにわかる。
自分は今の暮らしでしあわせだったはずなのに、「あれ‥わたしってなんかしょぼいなあ」とか感じることもできる。
はたして「あの人」がしあわせなのかはわからないけど、人は比較をしてしあわせを感じたりもするので、自分にないものをもっているひとはよく見えたりもする。
でも、極端な話
“外に生えている木の葉っぱを眺めてる”だけでもしあわせなものなのだ。
それは、「今あるもの」に目を向けるということ。
ないものを手に入れようとするのがよくないことではないけれど、その「ないもの」が手に入らない間、ずっと苦しくなってたらもったいない。
今、あるものに目を向けるとなんだかとても満たされる。内側が。ほか~んと、あったかくなってくる。なんだか何事も迷ったときは、“内側”が大事な気がする。外に外に答えをさがしても、どんどん離れていくような感覚ってある。
はあちゅうさんが「旅をしても自分は落ちていなかった」と言うように。
そんなときはひとつずつの動作を丁寧にしたり、今そばにいる人を大切にしたり、今使っているものを大切にしたり。そんななんてことないことを大切にしなさいってことなのかもしれない。
心の底から満ちてゆくときって、やっぱりそういうときだと思うんだ。
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