最近、本屋を見ると働き方について書かれた本がやけに多いように感じる。
今、これから、働き方は変わってくる。
いろんな生き方がある。そういう“流れの変わり”が日々なんとなく感じられる。
少し前まではより良い大学に入り、福利厚生が整った企業に就職する。
そして良い車を買い、マイホームを持つ。
それができる人は凄くて、逆にそこまでいかない人は社会的に「負け組」なんて雰囲気があったように思う。
今、それは変わってきた。
違う感性を持った人たちが爆発してきた。
わたしは高卒で就職し、お給料も大卒に比べると低かった。
社会的に弱い立場なのかなと思うような出来事もあった。
でも、今はそんなことはどうでもいい。
自分に何ができるか、自分がどう生きたいか。どこで生きるか。
消費するのではなくて生産するようなことをしたい。
今の暮らしのままじゃなにかあったときになにもできないだろう。
たとえば震災のとき。
スーパーからは食料や生活用品はなくなるばかりで、それらが絶えると不安になる。
自分たちのことで精一杯。
それどころか仕事に追われている人もいた。
どうして大切なものがこんなにも見えなくなるんだろう
こうしている大人達は疑問を抱かないのか
おかしいと思わないのか
当時学生だったわたしはよくそう思っていた。
今、わたしはネットでいろんな生き方をした人たちを見ることができてとても嬉しい。
わたしが高校を卒業した3年前はこんなにも情報はなかったし
大学に行くか、就職するか。フリーターは安定していない、将来的に不安という教えを受けた。
一方で将来私たちの世代は年金をもらえないだろうねと言われていたし、あんまり詳しいことはわからなくても、テレビで偉い大人達がどうしようもないバカな喧嘩をしているのを見れば、どうしようもないんだということはわかった。
それなのに、まだ安定と言う?
なんなんだ、この矛盾は。とよく思っていた。
その安定なんてないようなものなのに、まだ押してくるなんて。
学校や知らないうちに植え付けられた常識ってこわいなあと思った。
今は企業に入っても全然安心なんかできやしない。
その安心感を抱いたものを取ったときに自分には何が残っていて、何ができるだろう。
あるのかもわからない、ずっと先の安定のために今の自分を犠牲にしていいのだろうか。
よくない。わたしは嫌だ。
会社にはまだまだそういった考えの人が残っていた。
会社を辞め、ブログの世界を見るとみんなそれぞれがそれぞれの考えを発信していた。まったく新しい生き方がどんどん創り出されていた。
わたしに何ができるのかは正直まだわからない。
やってみないとわからない。
こうして自分の意見を発信することも、かつてはできなかったことだ。
今まではごく限られた人にしか自分の素直な考えを話してこなかった。
でも自分の考えを持つのはとてもすばらしいことだ気づいた。
流されるのではなく、自分で生きる。
行動する。
自分にとって何が大事かをよく考えて、選択し続けていけば自分の中の常識も変わってくるし過ごし方も変わる。そして、3年前に教えられた将来とは絶対に違う景色の中で生きていると思う。
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