シェアハウスに住んで一番良かったことは、生きる可能性が広がったこと。

 

わたしは十代のときにシェアハウスに住むことになりました。

 

高校を卒業して就職した会社経由で一人暮らしを始めたものの、その会社でこころとからだを壊し会社をやめることになったので、そのとき住んでたおうちは出て行かなければならなくなりました。

 

諸事情で実家に住むことができなかったわたしは、「家をどうするか」ということになったのです。

 

高校までは実家に住み、一人暮らしでも未知の体験でめいっぱいだったわたしは、「家」というのは大きな大きな課題でした。

 

自立というのは、とても大きなものでした。

 

どうしよう‥となりながら数日過ごしていると、Twitterで“リバ邸”というキーワードを目にしました。当時のことはいっぱいいっぱいに生きすぎていて、あまり鮮明には覚えていないのですが、リバ邸は「居場所がない人を迎える」みたいなイメージでした。中には、それとは違ったコンセプトでやっているものもあったり、場所によって色は違いますが、当時のわたしはそこに行くしかないような、そんなきもちでした。

 

そのときのわたしは苦しくて、孤独で、どうしたらいいのかわからない。そんな明日を見ていました。

 

 

「そんな会社、やめてよかった」と言ってくれた

 

当時のわたしは高校を卒業して、就職を1回しただけ。世の中というものを全然知りませんでした。高校卒業して入った会社をやめたら、「わたしはがんばれなかった。」そんな思いでした。

 

そして会社をやめ、荷物を少しだけ持ってシェアハウスの最寄りバス邸に着いたわたしは、これから先何もわからない道に立っていました。管理人さんが迎えに来てくれてわたしの事情を話すと「そんなとこさっさとやめて正解だよ。」とあっけなく言ってくれました。

 

今までの悩みはなんだったというくらいに、違う世界が現れました。

 

 

就職しなくても、生きていける。
家はどこにでもある。

 

シェアハウスに住んでからは、生活費も安く住んだので、お金を貯めることも出来ました。下手したら、アルバイトだったけど、就職していたときよりも貯金はしやすかったです。

 

そして、正社員やバイトに関係なく自分の「やってみたいこと」に挑戦できるのが楽しかったです。

 

正社員じゃないと家が借りられないところが多いですよね。そうなると、まずは「仕事に就かなきゃ」となるのですが、生活コストが下げられることにより、色んな面で余裕が出てくるのです。

 

そして、「家を借りられない」「正社員にならなきゃ」という固定概念は、くつがえされました。

 

「あ、生きていける。」 そう思うようになっていました。

 

あんなに生きるのが大変でたまらなかったのに。

 

貧困の連鎖って、中々断ち切るのが大変で、「家を借りて自立する」ということがものすごくハードルが高い人もいるんですよね。

 

でも、住むところ、生活の基盤はどこにでもある。どうなったって生きていける。それを知ると、こわくなくなりました。

 

ただこういう生活は、もちろん学校なんかじゃ教わりません。大半が大学に行き、それ以外はまずは就職。そこから外れると、なんだか“ダメ”な気がしますが、実は外れたほうが生きていくことができたのです。

 

 

さいごに

 

シェアハウスにいると、いろんな人と出会います。そして会う人の多くは、学校で習ったような道とはまったく違う世界を生きている人たちです。そんな数々の出会いにより、わたしは全然ダメじゃない。どんな思いや生き方があってもいいんだ、素晴らしいんだ。と気付くことができたのです。

 

 

 

コメント

コメントを残す

あなたのメールアドレスは公開されません。名前とメールアドレスが必須です。